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本稿では、官僚制を public servant であるべき存在、としてとらえ、現代日本の官僚制のもつ問題点を、情報公開の視点から論じている。日本の官僚制は、明治から近年まで、一般的には「優秀」と評価されてきた。しかし現在、官僚制は多くの不祥事を起こしており、...
1998年
 
 実生活の中の積雪への疑問から、新潟県における積雪分布の傾向とその要因を調査した。新潟地方気象台気象月報の昭和58年~平成5年の11月~4月の資料を用い、県内39観測地点での積雪深のデータの月中最深積雪によって等積雪深図を作成し、また海沿いの観測...
1998年
 
私がこの論文で述べたいことは、情報公開制度の歴史を検証し、この制度の成立原因をつき止め、その意義および問題点を明らかにし、将来への展望を考察することである。そのため第一章では世界各国の情報公開制度の歴史や運営状況をみてみる。第二章では情報公開制度...
1998年
 
日本において沖縄とはどのような存在なのであろうか。沖縄は古くには“琉球王国”が存在したため、独自の文化、言語が発展した。そのためか日本本土の人々から差別されるという歴史を送ってきた。現在においてもその片鱗が見られる。沖縄は、戦後の日本と米国両政府の...
1998年
 
 中国の女性は、現在でこそ男女平等が体制的に実現した社会で、さまざまな職業に進出して社会参加を果たしているが、近代以前は、男性中心の封建社会に生きていた。男尊女卑の思想が社会のあらゆる面に浸透していた。「五・四」運動、新中国の建国を経て、女性たち...
1998年
 
中国に進出した日本企業に見る日中経済交流の実態                   日本と中国の求めるもの            はじめに   ・研究の動機  第一章 中国に進出する日本企業      第一節 アジアに進出する日本企業 ...
1998年
 
新潟平野の西辺、西蒲原郡のほぼ中央に位置していた鎧潟は、1958年の「国営鎧潟干拓建設事業」により、すでに消失した。本稿では、鎧潟とその周辺耕地並びに農民の、干拓前と干拓後の変化を明らかにする。変化とは、具体的には、鎧潟の形の変化、周辺の耕地整理によ...
1998年
 
 太平洋戦争中に日本軍の性奴隷にされた元「慰安婦」たちは、戦争中の性暴力に加え、戦後は償いも反省の言葉もなく無視されてきた。だが今それだけではなく、新たな攻撃を受けている。女性運動の支えでやっと口を開いた被害女性たちの証言を信用せず、国家機関の公...
1998年
 
論文要旨近年、 新潟市においてマツ枯れが生じている。 マツ枯れの原因は従来、 マツノザイセンチュウ説と酸性雨説が注目されている。しかし、 近年マツ枯れとマツノザイセンチュウとの関連がうすいことを裏付けるデータが報告されている。1977年にはマツクイムシ...
1998年
 
独立国家図なったアメリカは労働力の不足を補うために、広く海外から移民を受け入れる政策をとった。1980年から1920年にかけて1800万人もの移民が渡米した。ほとんどが欧州諸国の移民であったが、日本人などのアジア系移民もいた。もともと日本からの移...
1998年
 
論文要旨  本研究では、新潟市において最大の住宅地を形成している坂井輪地区を対象に最も宅地化の著しかった1960年代から1980年代までを中心にして人口の推移や農地の推移などを分析することにより都市化に伴う住宅地化の過程を解明することを課題とした。  事...
1998年
 
                     論文要旨                本研究では、蒲原平野の縁側に位置する弥彦・角田山塊の弥彦山(633.8メートル)を研究対象として、兵庫県南部地震により注目された活断層の認定調査を行った。全国的規模の活...
1998年
 
建設産業という業界は、巨大な基幹産業である。わが国の建設業界は重曹な下請システムによって確実に利益を上げてきた。しかし、この不動の基幹産業が10年の間に大きく変化した。そして現在も変容し続け、また変容していかなければならない事態を迎えている。◆1...
1998年
 
私の家は自営業を営んでおり、経営者としての祖父や父の栄光や苦悩、それを陰で支える祖母や母の存在を小さい頃からみてきました。企業というものの存続は昔は30年、最近では10年、現在では3年といわれているなかで、現在では、証券会社銀行が続々と倒産し、金融業...
1998年
 
 第二次大戦後、日本は奇蹟ともいえる高度経済成長を遂げ、経済大国と呼ばれるまでになったが、その成長を支えた主役は企業であった。その後、日本企業は二度のオイル・ショックも見事に乗り切り、その強さがあらためて認識された。このような日本企業がオイル・シ...
1998年
 
 自動車が発明され普及してゆき、保有台数は年々増加している。私たちは自動車を利用することによって豊かな生活を送れるようになってきた。 しかし、このような自動車社会の発展は一方で近年大きく取り上げられている環境問題など様々な社会問題を引き起こしてき...
1998年
 
戦後50年を経て、我々の記憶から第二次世界大戦は過去のものとして消えつつある。しかし、本当に過去となりえたのだろうか。戦後50年を経た今だからこそ、戦争に対する罪を明らかにし、曖昧に流されてきた戦争責任を我々はもう一度考えなければいけないのではな...
1998年
 
「インターネット」という言葉が盛んに聞かれる現在、どれだけの人が、どのように利用しているのか、また本当に、時間と空間を超えたインタラクティブコミュニケーションを可能にするメディアであるのか、興味を抱き、卒業研究にしてみたいと思った。 調べて行くう...
1998年
 
本稿では、西ドイツ・緑の党が提起している「政治的エコロジー」について考察するとともに、緑の党の出現は、はたしてゲンシャー(世紀的な事件)であったのか、あるいはグルール(儚い出来事)であったのかを論ずる。ここでまず、「政治的エコロジー」について説明...
1998年
 
 1995年の第4回世界女性会議(国連主催)では、女性が置かれている様々な問題や女性の地位向上について国際的に話し合われ、主な議題として「経済」に関する議題が含まれていた。 本稿ではこのような観点から、特に働く女性の経済的自立について論じ、現在日...
1998年





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